龍潭寺の住職 南渓(なんけい)和尚 戦国武将と禅宗
おんな城主直虎がもっと楽しくなる!小ネタ・豆知識
*龍潭寺(りょうたんじ) 南渓瑞聞(なんけいずいもん) ・南渓和尚系図
井伊直虎の大叔父にあたる人物が龍潭寺(りょうたんじ)の住職 南渓和尚です。
南渓和尚の名前は南渓瑞聞(なんけいずいもん)といい、井伊直平の実子とされていますが、養子とする説もあります。
臨済宗の僧 黙宗瑞淵(もくじゅうずいえん)を龍泰寺(りょうたいじ)に招いたのが井伊直平であり、このとき南渓が黙宗瑞淵の弟子になったと推測されています。
1560年龍泰寺は龍潭寺に名称を変更します。これは桶狭間の戦いで討死にした直虎の父 井伊直盛の戒名「龍潭寺殿」からきています。
南渓和尚はその豊富な知識や人脈を生かし井伊家の危機を何度も救います。出家した直虎にとって南渓は師であり、家督を継いだのちは直虎の治世を支えるブレーンとなります。
戦国時代の武将は禅宗を好み、子弟の教育や政治、外交、軍事のブレーンとして禅宗の僧を登用しています。
禅宗の中でも特に臨済宗は戦国武将とのつながりが深い宗派です。
■主な臨済宗の僧と戦国武将
太原雪斎(たいげんせっさい)・・・今川家の政治、軍事顧問で、今川家の全盛期を築いた人物。人質となっていた竹千代(徳川家康)も雪斎から何度か教えを受けたようです。
快川紹喜(かいせんじょうき)・・・武田信玄に招かれて恵林寺の住職となり、政治、外交に助言を与えた。武田氏滅亡後に織田軍によって恵林寺は焼かれ、このとき「心頭滅却すれば火も自ら涼し」と言い残し、火中に身を投じたとされています。
虎哉宗乙(こさいそういつ)・・・快川紹喜の弟子で、伊達輝宗の招きに応じ政宗の学問の師となる
南化玄興(なんかげんこう)・・・稲葉一鉄の招きに応じ華渓寺を開く
安国寺恵瓊(あんこくじえけい)・・・毛利家の外交僧