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おとわと次郎法師(じろうほうし) 出家と還俗(げんぞく)

おんな城主直虎がもっと楽しくなる!小ネタ・豆知識


亀之丞が南信濃の松源寺(しょうげんじ)で隠遁生活を送ったおよそ10年の間におとわは出家をしています。


おとわがなぜ出家の道を選んだのか?井伊家の関連史料には「亀之丞が数年間井伊谷に戻らなかったから」「御菩薩の心」などと記しています。


大河ドラマの中では、小野政直(おのまさなお)の子鶴丸(小野政次)との結婚話しを反故にするため剃髪するという設定になっています。


おとわの父井伊直盛と母千賀は、娘が尼になることに反対します。僧(男性の僧)は還俗できるが、尼(女性の僧)は還俗できないという慣習があったためです。


還俗(げんぞく)とは、僧侶になった者が俗世間に戻ることをいいます。直盛と千賀の思いを知った南渓和尚は、おとわに「次郎法師」という名を授けました。


次郎は代々井伊家の惣領が名乗る名前であり、法師は男性の僧侶につける呼称です。見た目は尼でも名前は僧侶であり、いつでも還俗できるように一計を案じたのです。


仏門に入った者が還俗した例は井伊直虎だけに限ったことではありません。今川義元も還俗をしたひとりです。


今川義元は父氏親(うじちか)の五男であったため幼い頃に僧籍に入れられ出家をしています。


出家後に栴岳承芳(せんがくしょうほう)を名乗っていましたが、兄二人が亡くなったことから、同じく出家していた母違いの兄 玄広恵探(げんこうえたん)との家督争いを制して今川家11代当主になったのです。


今川義元の他にも、還俗した人物はいます。くじ引きで選ばれたとされる室町幕府6代将軍足利義教(よしのり)も還俗をしています。8代将軍義政(よしまさ)も一度出家をしてから還俗しています。


義政の弟 義視(よしみ)も出家して天台宗の僧侶となり義尋(ぎじん)を名乗っていましたが、還俗して義政の子義尚(よしひさ)と将軍の座を争いました。この争いが応仁の乱の原因のひとつになったのです。


足利義昭(よしあき)も仏門に入り覚慶を名乗りますが、その後還俗して15代将軍になっています。


足利将軍家では、世継ぎ以外の男子を仏門に入れることが多かったようです。

・家督争いを未然に防ぐため
・家督継承者に万が一の事があったときの予備として、安全な僧籍に入れておいた
・仏教勢力とのつながりを保つため
などが理由にあげられます。

また、武家は戦いで人を殺すため、一族の者を僧侶にすることで、怨念や災いから家を守ったのだとする説もあります。


将軍家にならい室町時代の守護大名も子供たちを仏門に入れています。