今川氏の本拠地駿河国は小国?
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今川氏が駿河の守護になったのは、1338年 3代範国(のりくに)のころだとされています。
鎌倉幕府倒幕で軍功をあげた範国は遠江守護となり、さらに建武政権下で駿河の守護にも任命されました。
遠江守護はその後斯波氏に奪われますが、駿河の守護は代々今川氏が継承し義元に引き継がれました。
今川氏はこの駿河を地盤に成長し、戦国時代有数の大名になります。
しかし、のちに豊臣秀吉が実施した太閤検地では、駿河の石高は約15万石、甲斐国は約22万石、遠江国は約25万石、三河国は約29万石、尾張国は約57万石となっています。
周囲の国に比べ駿河国の石高は意外に少ないことがわかります。
義元の頃には、湊の関税や鉱山からの収入があり財政的には潤っていたようですが、やはり遠江や三河は今川氏にとって魅力ある土地だったのでしょう。
義元の祖父義忠(よしただ)は遠江に侵攻しますが、敵の反撃を受け討死しています。
義元の父 氏親のときに遠江を手に入れ、義元の代になり三河を領有して三国の太守になりました。