今川義元の母寿桂尼(じゅけいに)は公家出身
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今川義元の母で女戦国大名とも呼ばれた寿桂尼(じゅけいに)は、公家中御門宣胤(なかみかどのぶたね)の娘です。
中御門家は藤原北家勧修寺流(かじゅうじりゅう)の庶流で、万里小路家(までのこうじけ)や清閑寺家(せいかんじけ)と同じ系統になります。
宣胤は従一位 権大納言にまで昇進した人物です。
今川氏は足利氏から枝分かれした一族なので武家としては名門ですが、中央の貴族から見れば地方の一大名に過ぎません。
京都から遠く離れた駿河の大名になぜ公卿の娘が嫁いだのでしょうか?そこには貴族の苦しい台所事情がありました。
貴族の主な収入源は荘園からの年貢ですが、鎌倉時代、室町時代になるとその荘園が武士によって侵略されます。
特に室町時代後期に登場した戦国大名は、幕府や朝廷の権力に依存せず、自分の力で領国を統治していきました。
本来は荘園領主である貴族に納めるべき年貢を横領したのです。
荘園からの収入が途絶えたことで貴族の生活は困窮します。そんな彼らの生活を支えたのが娘たちでした。
戦国大名に娘を嫁がせ、見返りとして献金や生活費の援助を受けたのです。