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今川義元は桶狭間の戦い前に氏真に家督を譲っていた

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桶狭間の戦いで義元を討たれた今川家は嫡男の氏真が家督を継ぎます。


従来は義元の死によって氏真が家督を継いだとされてきましたが、氏真が発給した文書や、氏真主催の歌会始が開かれていることなどから、桶狭間の戦い以前に、義元から氏真への家督継承が完了していたと考えられるようになりました。


家督継承の具体的な年月日などは諸説あり不明です。


義元が生前に家督を譲渡したとすればその理由は何でしょうか?ひとつは家督争いを未然に防ぐことが目的だとされています。


今川家ではこれまでに何度か家督をめぐり内紛が起こっています。義元の父氏親は一族の小鹿範満(おしかのりみつ)と家督を争い、このときは伊勢盛時(北条早雲)が仲裁をしました。


義元自身も兄の玄広恵探(げんこうえたん)と家督を争い、家中を二分する大きな内紛(花倉の乱)にまで発展しています。


このような経緯から不測の事態に備え氏真へ家督を譲ったのだと考えられています。


義元は織田信長を攻めるために入念な準備をしています。甲相駿三国同盟で背後の脅威を取り除くと、仮名目録追加21条(かなもくろくついかにじゅういっかじょう)の制定、検地の実行など、内政の整備に時間を割いています。


大国である尾張に攻め込むため領国の支配体制を強化し、国力の増強をはかったのです。さらに氏真に家督を譲ったことで後顧の憂いをなくし、万全の体制で尾張に向け出陣しました。