桶狭間の戦い 今川義元の首実検
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桶狭間で今川義元を討った織田信長は、その日のうちに清州に戻ります。
「桶狭間合戦記」には熱田に戻った信長が群衆に向かい「今川治部大輔(じぶのたいふ)の首を見よ」と叫び、人々に義元の首を見物させたことが記載されています。
信長は馬の鞍の左側に義元の首を付けており、首からは沈香(じんこう)の匂いがしたとされています。沈香は高級な香木(こうぼく)のことです。
翌日になると討取った今川方の武将の首実検が行われます。信長の家臣が義元の身の回りの世話をしていた「権阿弥(ごんあみ)」という者を生け捕りにしたので、信長は権阿弥に首を見せて身元の確認をさせます。
首実検に協力した権阿弥は助命され、信長から太刀と脇差を与えられました。
義元の首は須ヶ口に晒されていましたが、桶狭間の敗戦後も鳴海城で抗戦を続けていた今川方の武将岡部元信(おかべもとのぶ)が信長に返還を求めました。
信長は鳴海城を明け渡すことを条件に首の引き渡しを認めます。
信長は権阿弥に首を持たせ、僧10人を付けて鳴海城に届けました。
元信は義元の首を駿府に持ち帰ろうとしますが、腐敗が進行したため三河国東向寺で葬ったとされています。
首を取られたあとの義元の胴体は、今川の兵が戦場から運び出し、三河国大聖寺(だいしょうじ)に埋葬しました。