徳政令は平等ではない!借金は帳消しにならない
徳政令(とくせいれい)が発布されると債務は免除され債権は消滅します。つまり借金が帳消しになるということです。
お金を借りていた人は大喜びですが、貸していた方(土倉や酒屋、寺社)はたまったものではありません。
「借りたものは返さなければならない」という社会のルールを根本から覆す劇薬が徳政令です。
では、なぜこのような法令が度々発布されたのでしょうか?
理由のひとつが「高金利」です。
当時の金利は月利が基本だそうですが、現代のサラ金業者もびっくりするほどの高金利で、年利に換算すると40~50%は当たり前!
中には80%を超える高い金利で貸し付けを行う業者もいたそうです。
10万円借りたら1年後には14~18万になる計算です。
そのため、借金を返済することができず、担保になっていた田畑を手放す農民も多くいました。
強欲な貸金業者に怒った農民たちが徳政を求め、時には大規模な土一揆(徳政一揆)にまで発展しました。
農民たちの要求を認めた領主が徳政令を発布 = 農民たちは万々歳!
これで借金はチャラ!担保に取られた田畑も戻ってくる・・・・かと思いきや、そう単純なものではありません。
貸金業者もバカではないので、当然対策を講じます。
貸金業者は領主に対し献金などを行い自分の債権を徳政令から除外するよう求めたのです。
領主と密接な関係にある業者や、献金額が多い業者には特例が認められ債権は保護されました。
つまり、徳政令が発布されても、債務が帳消しにならないケースもあるのです。
井伊谷で起こった徳政令騒動では、瀬戸方久が今川氏真に対し徳政令の凍結を求めています。
さらに方久は、今川が統治していた堀川城の普請を行います。多額の献金なども功を奏したのでしょうか?方久の領地は安堵され徳政令の除外が認められたとされています。
ちゃっかり自分の債権を守った方久ですが、この行動は次郎法師(直虎)の了承を得ていたのか?それとも秘密裏に行われたのか?についてはよくわかっていません。