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寿桂尼の菩提寺龍雲寺(りゅううんじ)「死して今川の守護たらん」

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公家の中御門家(なかみかどけ)から駿河の大名今川氏親に嫁いだ寿桂尼は、夫の氏親を支え分国法である今川仮名目録の制定にも関与したとされています。

氏親没後は息子 義元とともに今川氏の最盛期を築きます。義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれた後は、大黒柱として没落する今川家を必死に支えますが、1568年に駿府館で病没しました。

自らの死期を悟った寿桂尼は、自分が死んだら龍雲寺に埋葬するよう命じたとされています。

龍雲寺は曹洞宗の寺院で駿河館の北東(艮 うしとら)の方角に位置しますが、陰陽道(おんみょうどう)では艮は鬼門(きもん)にあたり、鬼門は鬼が出入りする悪い方角とされています。

「死して今川の守護たらん」自らを鬼門の方角に置いたことは「死んでも今川を守護する!」という寿桂尼の悲壮な覚悟、執念のあらわれでもあります。