井伊直虎の墓と菩提寺 妙雲寺(みょううんじ)
井伊直虎は天正10年(1582年)8月26日に死去しました。生年が不明のため没年齢もわかっていません。直虎がどのような晩年を過ごしたのかも不明です。
龍潭寺境内の松岳院で母の祐椿尼(ゆうちんに)とともに過ごしたとされ、母が亡くなると自耕庵(じこうあん)で過ごしたともいわれています。
祐椿尼は天正6年7月15日に亡くなっているので、直虎は母の死から4年後に他界したことになります。
直虎が亡くなるおよそ2か月半前に本能寺の変が起こり、伊賀越えの危機を乗り切った万千代が無事に生還しています。
このとき万千代は1万石~2万石に加増されていたようです。
当時はまだ石高制ではないので、正確な石高を知ることはできませんが、直虎が統治していた井伊谷の石高が1万石前後と推測されるので、すでに旧領の石高を超えていたことになります。
直虎が亡くなったとき、万千代は北条氏との抗争で甲斐に出陣していたようです。
井伊家の再興と万千代の活躍を見た直虎は、安堵して安らかに旅立ったのではないでしょうか。
直虎の戒名は「月泉祐圓禅定尼(げっせんゆうえんぜんじょうに) 」ですが、追善供養で「妙雲院殿月船祐圓大姉(みょううんいんでんげっせんゆうえんだいし)」という諱名(おくりな)になったと「龍潭寺の歴史」に記載されています。
井伊直虎の墓は、井伊家の菩提寺である龍潭寺の井伊家歴代墓所にあります。また、直虎が晩年に過ごしたとされる自耕庵は、直虎の戒名から「妙雲寺(みょううんじ)」と改められ、直虎の菩提寺になりました。
「妙雲寺」では、平成27年(2015年)に直虎の位牌が見つかり、翌年には南渓和尚の位牌も発見されました。これを機に、土日祝日のみ一般公開を行うようになったとのことです。
拝観料は無料で、拝観時間は9:30~16:00です。
妙雲寺の拝観についてはこちらのサイトに詳しい説明が載っています。
直虎と南渓和尚の位牌と肖像画が次々見つかった妙雲寺