井伊直政上野国箕輪12万石
おんな城主直虎がもっと楽しくなる!小ネタ・豆知識
天正18年(1590年)豊臣秀吉は小田原の後北条氏を討つべく大軍を関東に派遣します(小田原征伐)
20万を超える軍勢に囲まれた小田原城は、支城を次々に落とされ孤立無援となりした。
井伊直政も徳川軍の先鋒(もしくは旗本)として参陣します。直政は小田原城の篠曲輪(さきくるわ)に攻撃を仕掛け、敵兵300を討ったとされています。
北条氏が降伏すると、北条氏の旧領には徳川家康が移封され、家康と家臣団は関東に移ることになりました。
江戸に入った家康は知行割を行い、有力な家臣を関東各地に配置します。
井伊直政は上野国箕輪12万石を領有し、徳川家中で最高の知行高を与えられたのです。
大幅な加増を得た直政は、新たに北条や今川の旧臣を召し抱え、家臣団の再編成を行います。
■この時点での直政の主な家臣
・三名の寄騎・・・木俣守勝、西郷正友、椋原政直
・井伊谷時代からの一門、家臣・・・奥山、中野、今村、小野、松下など
・井伊谷三人衆・・・近藤、鈴木、菅沼
・武田、今川、北条の旧臣・・・庵原朝昌(いはらともまさ)、川手良則(かわてよしのり)など