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箕輪城と高崎城 和田から高崎への改称

おんな城主直虎がもっと楽しくなる!小ネタ・豆知識


豊臣秀吉の命令で関東に移封となった徳川家康は、井伊直政たち重臣を関東の要地に配置すると、街道沿いの守りを固めるため五街道の整備を行います。

箕輪城を与えられた直政は、城の鬼門に位置する場所に龍門寺(りゅうもんじ)を建立して、下野国富田から高僧の白庵和尚を招き城下の整備にとりかかります。

しかし、家康は箕輪城から和田城への移動を直政に命じます。

中山道と三国街道の分岐に位置する和田城は、中山道の守りの要であり、早急に整備する必要があったのです。

直政は城の改修に着手すると、「和田」という地名を「高崎」に変更しました。

「高崎」という地名は龍門寺の白庵和尚が考案したそうです。

直政は当初「松が崎」という名を考えていたようですが、白庵和尚に「松は先が枯れるのでよろしくない」と言われ、代わりに「成功高大」という故事にちなんだ「高崎」を提案されたそうです。

直政は白庵和尚の助言に従い「高崎」に決めると、城下の整備を行い「高崎」の発展に寄与しました。

直政は「高崎」の地に「龍廣寺 りゅうこうじ」を建立して、白庵和尚を開山としました。