高瀬姫の夫 川手良則(かわてよしのり)
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井伊直政の母違いの姉高瀬姫は、直政の父直親が今川義元と小野政直の追手から逃れ、松源寺で匿われていたときに、現地の女性との間に生まれた子とされています。
高瀬姫の夫 川手良則は、今川家の重臣 山田景隆(やまだかげたか)の子とされています。
家康の父広忠が亡くなると、今川義元は太原雪斎を三河に送り岡崎城を接収しました。このとき岡崎城代となったのが山田景隆だとされています。
川手良則は今川、武田、徳川に仕え、家康の命令で天正10年(1582年)に高瀬姫を正室に迎えました。
良則は井伊家の家老職につき2500石を与えられ、関ヶ原の戦いでは高崎城代として領国を守りますが、翌年に亡くなっています。
高瀬姫との間に子が産まれなかったようで、大草松平家から養子 良列を迎えます。
井伊家が高崎から彦根に移封されると、川手家は井伊一門として彦根藩家老(4000石)職を任されますが、良列が大坂夏の陣で戦死すると、良列の遺児も早世したため、川手家は断絶となりました(幕末に川手家は再興)
高瀬姫は寛永11年(1634年)に亡くなります。没年齢は不明。
高瀬姫のお墓は菩提寺である彦根の長純寺(ちょうじゅんじ)にあります。