土佐藩・上士と下士
現在と違い、江戸時代は身分制度の厳しい時代でした。特に龍馬の生まれた土佐藩では武士を上士と下士に分けていました。
土佐は戦国時代長宗我部氏が領有していましたが、関が原の戦いで西軍についたため徳川家康によって没収されます。
長宗我部氏のあと土佐を拝領したのが山内一豊です。2006年大河ドラマ「功名が辻」でも放送されたので覚えている方も多いと思います。
新領主となった山内家と長宗我部旧家臣団との対立は深刻で、度々一揆がおきその対策に山内家は苦労しました。
その結果、上士、下士というピラミッド型の階級をつくることで、長宗我部旧家臣団を押さえつけていきます。
上士とは、土佐に移る前から、山内家の家臣だった武士のことで、下士とは、長宗我部氏の旧家臣、一領具足と呼ばれる半農、半兵の人たちのことです。
上士や下士はそれぞれ複数の階級があり、ピラミッド型の構造になっています。下士の中で一番上の階級は白札で、特に功績のあった家に与えられ、上士に近い待遇を得たそうです。白札の下に郷士がいてさらに足軽、庄屋、地下浪人などの階級があります。
武市半平太は白札、龍馬は郷士、岩崎弥太郎は地下浪人、中岡慎太郎は庄屋です。