龍馬と北辰一刀流
龍馬は1853年19歳で剣術修行のため江戸に向かい、北辰一刀流 千葉定吉の道場に入門して剣の腕を磨いたとされています。
北辰一刀流は千葉周作が開いた流派で、神田の「玄武館」で剣術を教え、当時の江戸三大道場(玄武館、練兵館、士学館)のひとつに数えられていました。
神道無念流の「練兵館」には桂小五郎や高杉晋作が、鏡新明智流の「士学館」には武市半平太、岡田以蔵が学んでいます。
龍馬は千葉周作の弟千葉定吉が教える京橋桶町の道場に通い厳しい稽古を行ったようです。千葉定吉は鳥取藩槍術師範となっていたため、実際には定吉の息子重太郎が指導をしていたようです。
龍馬の剣術の腕がどの程度であったかは意見が分かれるところです。龍馬が北辰一刀流から与えられ確認されている免許は「北辰一刀流長刀法目録」のみだからです。
北辰一刀流の免許は「初目録」、「中目録免許」、「大目録皆伝」があり、「北辰一刀流長刀法目録」は「初目録」にあたります。長刀は長い刀なのか薙刀なのかは不明です。
つまり、龍馬は北辰一刀流の一番低い免許である「初目録」しか伝授されていないことになります。他の免許も伝授されていたかどうか確認されていないのでなんともいえません。
龍馬がその生涯で斬り合いをした記録も残されていません。寺田屋で幕府の取り方に囲まれたとき、一緒にいた三吉慎蔵は槍で戦っていますが、龍馬はピストルで応戦しただけで刀を抜いていません。
暗殺されたときも刺客の刀を鞘で受けた痕跡があるだけです。果たして龍馬の剣の腕がどれほどであったのか?新たな証拠がでない限り謎のままです。
*2015年10月14日の報道より抜粋
坂本龍馬の子孫が高知県立坂本龍馬記念館に龍馬に関する史料を寄贈したところ、その中に龍馬が北辰一刀流の「兵法箇条目録」「兵法皆伝」「長刀兵法皆伝」を与えられていたことを示す史料があったそうです。
1913年に開催された坂本龍馬遺品展に出品するため、坂本家から龍馬の遺品を借りたときの預かり書が見つかり、その項目の中に、北辰一刀流の「兵法箇条目録」「兵法皆伝」「長刀兵法皆伝」の記載があったとのこと。
別の史料には、1913年12月に起きた北海道釧路市の火災で坂本家も被災し、「皆伝目録」は焼失してしまったという記載があり、龍馬が北辰一刀流の免許皆伝を与えられていた可能性がでてきました。