龍馬土佐藩を脱藩
龍馬は1862年に土佐藩を脱藩します。脱藩とは国を捨てることであり藩や藩主に対する裏切り行為となります。家禄の没収や家名断絶など本人はもちろん家族や親族まで制裁をうける重罪です。
では、なぜ龍馬は脱藩をしたのでしょうか?
当時の状況は、安政の大獄で攘夷派を弾圧した幕府の大老井伊直弼が桜田門外で暗殺され、長州藩や水戸藩が引っ張るかたちで尊皇攘夷運動が高ぶりをみせていました。
土佐藩でも幕府寄りの吉田東洋を退け藩論を尊皇攘夷にすべく武市半平太らが積極的に動き、1861年土佐勤王党を結成!龍馬も血判をして勤王党に参加しました。
土佐勤王党内では、長州藩・久坂玄瑞の影響を受けた吉村虎太郎らがより過激な行動にでようとしますが、武市半平太はこれに同意しなかったため、吉村虎太郎、沢村惣之丞、宮路宜蔵が脱藩。龍馬もこれに続きます。
龍馬がなぜ脱藩をしたのか明確な理由はわかりませんが、江戸での剣術修行や各藩の志士たちと交流を深めていく中で、土佐藩が窮屈になったのではないでしょうか?
藩に縛られずもっと自由に行動したい!この国のために働きたい!そのような思いが龍馬を脱藩という行為に向かわせたのかもしれません。