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勝海舟と坂本龍馬

勝海舟(勝安房、麟太郎)

坂本龍馬と勝海舟!幕末に活躍したこのふたりの出会いはどのようなものだったのでしょうか?当時、勝海舟は幕府の軍艦奉行の職にあり、土佐の脱藩浪人であった龍馬が簡単に会える人物ではありませんでした。


龍馬は越前藩の前藩主である松平春嶽の紹介状を得て面会を申し出たようです。松平春嶽は開明的で、各藩の藩士や脱藩浪人たちからも積極的に意見を聞く、この時代には珍しい人物でした。龍馬に拝謁を許し話しをするうちにこの人物なら紹介状を書いても良いと考えたのでしょう。


春嶽からの紹介状を得た龍馬は、1862年12月9日赤坂の氷川町にある海舟の自宅を訪れます。一緒に同行したのは近藤長次郎だったようです。海舟の話しをきいた龍馬と長次郎は感銘を受けその場で海舟の弟子になったとされています。


明治になってから海舟は自身の著書で龍馬との出会いを書き残しています。龍馬は開国論者であった海舟を場合によっては斬る覚悟で面会を求めてきたが、海舟の持論に感銘を受け弟子入りしたと記述しています。しかし、晩年の海舟は、話しを面白おかしくするためにやや誇張することもしばしばで、文面通り受け入れることはできません。


海舟を斬れば紹介状を書いてくれた春嶽にも迷惑をかけることになるわけですから・・・
龍馬は以前から海舟の評判を聞いていて、初めから弟子入りを希望して面会をしたと推測するのが自然なのではないでしょうか?


龍馬が姉の乙女に送った手紙には海舟のことを「天下に並ぶもののない大人物」と評しています。龍馬の人生にとって海舟との出会いはとても大きく、その後、海軍操練所、亀山社中、海援隊の設立へと向かっていきます。