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亀山社中設立

神戸の海軍操練所が閉鎖になり、龍馬とその仲間は勝海舟の紹介により薩摩を目指すことになります。薩摩では西郷隆盛、小松帯刀の庇護を受け生活を送りますが、龍馬たちは脱藩の身であり、蓄えもつきかけていたことから自立して収入を確保する必要がありました。


1865年に龍馬を支援していた、長崎の豪商小曽根家の別邸内に本拠を構え、貿易をおこなう組織「亀山社中」を設立します。現在では「亀山社中」という名が一般的に使われていますが、当時は「社中」という名称だったようです。


亀山社中の主なメンバーは坂本龍馬、千屋寅之助、高松太郎、沢村惣之丞、近藤長次郎、新宮馬之助、池内蔵太、中島信行、陸奥宗光などが参加しました。亀山社中は薩摩藩の援助を受け、参加メンバーには3両2分の給料が支払われていたそうです。3両2分は現在の貨幣価値に換算すると25万円前後になります。


亀山社中は、長州藩の依頼により、イギリス商人のグラバーから軍艦や小銃を購入する仕事をしていました。長州藩は幕府から目をつけられていたため、武器の購入ができず兵器の近代化が遅れてたことから、亀山社中を使い薩摩藩名義で武器を購入していたのです。


積極的に貿易活動を行っていた亀山社中ですが経営は苦しく、後藤象二郎との会談後に土佐藩の組織に組み込まれ海援隊と改名していきます。