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近藤長次郎切腹事件

近藤長次郎の写真

近藤長次郎は、1838年高知で餅菓子屋を営む大里屋伝次の子として生まれました。龍馬より3歳年下ということになります。大里屋と龍馬の実家は近い距離にあるため、子供のころから顔見知りであったようです。


龍馬と一緒に、勝海舟の門下に入り、その後海軍操練所、亀山社中の設立まで龍馬と行動をともにします。近藤長次郎は、龍馬の親友であり、龍馬の政治、経済活動を支えた盟友でもあったのです。


亀山社中では、軍艦や武器などの売買交渉を担当して、積極的に活動していました。中でも、長州藩の依頼を受けた汽船ユニオン号の売買に尽力したことから、長州藩から褒賞金まで受けたほどです。


しかし、この褒賞金が近藤長次郎の人生を狂わせました。仲間には内緒で、受け取った褒賞金でイギリスへの留学を計画したのです。武器商人グラバーの船に乗船してイギリスに旅立とうとしますが、悪天候のため長崎に引き返してしまします。


亀山社中の仲間に見つかった長次郎は、追及を受けたのち責任をとって小曽根邸で切腹をします。当時、別件で長崎を留守にしていた龍馬は、近藤長次郎切腹の知らせを受けると「俺がいたら殺させはしなかった」といって長次郎の死を悲しんだとされています。


長州の伊藤俊輔(伊藤博文)や井上聞太(井上馨)が、かつてイギリスに密航したことを聞き憧れをもっていたのでしょうか?亀山社中のメンバーとして、積極的に経済活動をしていた長次郎がなぜイギリスへの留学を企てたのか・・・・いまだに謎のままです。