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中岡慎太郎と坂本龍馬

笑顔の中岡慎太郎

中岡慎太郎は1838年土佐の大庄屋 中岡小伝二の嫡男として誕生します。坂本龍馬より3歳年下ということになります。


武市半平太の剣術道場で剣を習ったことから、半平太の唱える尊皇攘夷の影響を受けるようになります。


1861年結成された土佐勤王党にも参加をしますが、山内容堂による尊皇攘夷派の弾圧から逃れるため土佐を脱藩して長州へ渡ることになります。


長州では高杉晋作らと親交を深め、禁門の変や下関での四国艦隊砲撃事件にも参加をして長州藩や尊攘派の公家の信頼を得るようになります。


中岡慎太郎最大の功績といえば、龍馬とともに奔走した薩長同盟の斡旋でしょう。敵対していた薩摩、長州両藩を粘り強く説得して、ついに不可能と思われていた軍事同盟を締結させることに成功します。


土佐藩から脱藩の罪を許された慎太郎は、陸援隊を組織して倒幕運動に精力を傾けることになります。


土佐藩上士であった乾退助(板垣退助)とも親交があり、乾と西郷隆盛の会談をセッティングするなど、土佐藩内の倒幕派と薩摩藩、長州藩のつなぎ役を担います


盟友といわれる龍馬は公武合体→大政奉還という平和的な解決方法で日本の仕組みを変えていこうとしますが、慎太郎は、改革には血が流れることもある!徳川幕府を倒すのは今しかない!との考えから武力による倒幕を唱えます。


薩長同盟を実現させた慎太郎と龍馬ですが、武力倒幕を唱える慎太郎と徳川幕府を残そうとする龍馬!ふたりは度々激しい口論をしていたようです。


1867年11月15日 ふたりに運命の日が訪れます。この日も京都の近江屋で慎太郎と龍馬は激論をかわしていました。その最中に刺客数人がふたりに襲い掛かり、龍馬はその日に、慎太郎は17日にその生涯を閉じることになります。慎太郎30歳、龍馬33歳でした。