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坂本龍馬暗殺後の海援隊

海援隊の写真
*海援隊士の写真 左から3人目が龍馬

龍馬暗殺の犯人を「いろは丸事件」の恨みであると思い込んだ海援隊士たちが、紀州藩の三浦休太郎を襲撃する天満屋事件が起きました。


伊達小次郎(陸奥宗光)、沢村惣之丞ら海援隊士と陸援隊、十津川郷士ら総勢16人が天満屋にいた三浦休太郎に斬りかかります。危険を察知していた三浦は、新選組に警護を依頼していたため、双方で壮絶な斬りあいが行われ複数名の死傷者がでます。


この事件の後、海援隊は土佐藩の組織として戊辰戦争を戦うことになります。龍馬の後任隊長には長岡謙吉が選ばれますが、1868年土佐藩は海援隊に解散を命じます。


海援隊に参加した隊員はその後新政府の役人に仕官する者が多かったようです。


■海援隊解散後の主要な隊員の経歴を掲載しておきます。


沢村惣之丞・・・・天満屋事件の後、鳥羽伏見の戦いの混乱の中、長崎奉行所を占拠して警備にあたる。しかし、部下が誤って薩摩藩士を殺害してしまう事件が起きます。薩摩との間に問題を起こしたくない土佐藩大監察佐佐木高行の命で惣之丞が責任をとることになり、切腹をして果てます。


伊達小次郎(陸奥宗光)・・・・明治政府の高官となり、農商務大臣、外務大臣を務め晩年には伯爵に叙位される。


長岡謙吉・・・・龍馬の亡き後、海援隊の隊長に任命されますが、土佐藩より解散を命じられます。三河県知事などの職に就きますが、39歳で病没。


中島作太郎・・・・海援隊解散後は新政府に仕官して、神奈川県知事に就任。板垣退助とともに自由民権運動に参加後、自由党副総理、初代衆議院議長に就任。のちに男爵に叙位される。


千屋寅之助・・・・龍馬の妻お龍の妹と結婚。アメリカへ留学して造船の技術を学び帰国後海軍省に仕官。開拓事業にも力を注いだ。


高松太郎・・・・龍馬の姉である千鶴の子(龍馬は叔父)。龍馬の名跡を継いで坂本直と改名し、東京府の知事に就任する。


白峰駿馬・・・・千屋寅之助とともにアメリカに留学して造船技術を学ぶ。帰国後は海軍省に仕官するも退官して白峰造船所を設立する。


石田英吉・・・・海援隊解散後は、新政府軍参謀として戊辰戦争を戦います。維新後は県知事に就任、同じ海援隊の陸奥宗光が農商務大臣になると次官に就任します。のちに男爵を叙位されます。