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真田家の家紋 六文銭(ろくもんせん)と「六道」「六道銭」

真田家 家紋 六文銭(ろくもんせん) 六連銭
*真田家の家紋 六文銭(ろくもんせん)


家のシンボルとして使用される家紋は一般に普及しているものだけで4千から5千種類あるといわれています。


日本家紋研究会(にほんかもんけんきゅうかい)によると、収集した家紋のデータは250万件もあるそうで、その中から2万種を「日本家紋総鑑」で発表しています。


真田家の家紋は六文銭(ろくもんせん)です。真田といえば「六文銭」といわれるほど全国的に名前が知られている家紋のひとつです。


知名度抜群の六文銭ですが、元々は真田家の紋ではなく滋野一族で使用していたものです。


真田氏の所領があった小県で勢力を持っていたのが清和天皇の流れをくむ滋野氏でした。滋野氏は海野氏、禰津氏、望月氏の三家に分かれますが、真田氏は海野氏の系統なので「六文銭」を使用していたのでしょう。


真田以外にも「六文銭」を使用していた家がいくつかあるようですから、滋野一族の中では人気のある紋だったのかもしれません。


「六文銭」は、「三途の川の渡し賃」ともいわれていますが、その由来は「六道銭」にあります。六道は「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」で構成される仏教の世界観で、迷いのある者はこの六つの世界を輪廻するという考え方です。


六道にはそれぞれ地蔵菩薩がいて、その地蔵菩薩に一文銭を渡すことから、死者を葬るときに棺の中に一文銭を6枚入れる風習がありました。これが「六道銭」です。


「六文銭」を家紋にするということは、「死を恐れず命懸けで戦う」という意思表示でもあります。


赤備えの甲冑で徳川軍に突撃して果てた真田信繁のドラマチックな最期と「六文銭」に込められたメッセージがぴったり一致するので、私たちの心に強い印象を残します。他家の紋とは違い、真田の六文銭には「血の臭い」「死の美学」を感じます。


真田家の家紋 六文銭(ろくもんせん)の由来は、この「六道銭」以外にも「六曜紋」の変形型だとする説もあります。「六曜紋」とは六つの星をあらわした紋様です。


六曜紋 家紋
*六曜紋


中央の円の周囲に五つの円を配置した形をしています。滋野氏の家紋が「月輪七九曜紋」だったと推測されていて、滋野一族である禰津氏や望月氏が「七曜紋」や「九曜紋」を使っていることから、真田氏の「六文銭」はこの「六曜紋」が変形したものだとする説です。


個人的には「六道銭」のほうがしっくりくるのですが、実際は「六曜紋」かもしれません・・・・。この2つの説以外にもいくつかの説があるようですが、これといった確実な史料が存在しないため謎となっています。

真田家 家紋 州浜(すはま)
*真田家 家紋 州浜(すはま)

真田家 家紋 結び雁金(むすびかりがね)
*真田家 家紋 結び雁金(むすびかりがね)


真田家では「六文銭」以外にも「州浜(すはま)」「結び雁金(むすびかりがね)」などの家紋も使用していました。「六文銭」が有名になったので、現在では真田関連の施設や商品には「六文銭」が使われています。


「六文銭」以外にも有名な家紋はたくさんありますが、その中から代表的な家紋をあげておきます。


皇室「十六八重表菊」徳川家「三ツ葵」、豊臣秀吉「五三の桐」、織田信長「木瓜」、武田家「武田菱」島津家「丸に十字」、伊達家「竹に雀」明智光秀「桔梗」、毛利家「「一文字に三つ星」足利家「二つ引両」


来年の大河ドラマの主人公となる井伊直虎の井伊家(彦根藩)は「橘紋」です。「丸に橘」「彦根橘」とも呼ばれています。

皇室 家紋 十六八重表菊 皇室「十六八重表菊」
徳川家 家紋 三ツ葵 徳川家「三ツ葵」
豊臣秀吉 家紋 五三の桐 豊臣秀吉「五三の桐」
織田信長 家紋 木瓜 織田信長「木瓜」
武田家 家紋 武田菱(たけだびし) 武田家「武田菱」
島津家 家紋 丸に十字 島津家「丸に十字」
伊達家 家紋 竹に雀 伊達家「竹に雀」
毛利家 家紋 一文字に三つ星 毛利家「一文字に三つ星」
明智光秀 家紋 桔梗 明智光秀「桔梗」
足利家 家紋 二つ引両 足利家「二つ引両」
井伊家 家紋 丸に橘 彦根橘 井伊家 「丸に橘」「彦根橘」