大坂冬の陣において最初に本格的な戦闘が行われた場所が木津川口です。木津川は大坂城の西側に位置しており大坂方では砦を築き五人衆のひとり明石全登がおよそ800人の兵で守りを固めていました。
11月19日 徳川方の蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)、浅野長晟(あさのながあきら)、池田忠雄(いけだただかつ)の軍勢およそ3千が木津川口に攻撃を仕掛けました。
蜂須賀至鎮は蜂須賀小六(正勝)の孫で、阿波徳島17万石の藩主。
浅野長晟は浅野長政の次男で紀州37万石の藩主です。九度山に蟄居していた真田昌幸、信繁の監視役を任されていました。
池田忠雄は池田輝政の三男で淡路洲本6万石の藩主です。忠雄の正室 三保姫(みほひめ)は蜂須賀至鎮の娘。
兵力で圧倒する徳川勢の攻撃を受けた豊臣方では必死に防戦につとめますが、運が悪いことに守備を任されいた明石全登が大坂城に登城中であり指揮官不在となっていたのです。
わずか一日の戦闘で木津川口は徳川勢の手に落ちます。
要地である木津川口を奪われた豊臣方は緒戦から劣勢に立たされたのです。