薩摩藩島津家 家臣団の階級(身分)と禄高
江戸時代武士は特権階級であり、一般の人々(農民や商人など)に比べ優遇されていましたが、その武士にも様々な階級があり、藩主を頂点とするピラミッド型の階層構造になっていました。
・薩摩藩の身分制度
藩主、御一門、一所持、一所持格、寄合、寄合並、無格、小番、新番、小姓与、与力
藩主・・・島津宗家の家督を相続した者。初代薩摩藩主は家久(いえひさ)で、西郷隆盛を登用した斉彬(なりあきら)は11代藩主。12代藩主の茂久(もちひさ)が最後の藩主。斉彬の弟で茂久の父である久光(ひさみつ)は藩主にはなっていない。国父(こくふ)として茂久を補佐し実権を掌握。
・御一門(ごいちもん)・・・藩主の身内や分家の中でも家格の高い家。島津四家(加治木 1万7千石、垂水 1万8千石、重富 1万4千石、今和泉 1万5千石)
・一所持(いっしょもち)・・・島津の分家や重臣で所領を持つ家。都城(みやこのじょう)島津家 3万5千石、日置(ひおき)島津家 9千石や肝付(きもつき)家 5千5百石、小松(こまつ)家 2千6百石、種子島(たねがしま)家 1万石などおよそ21家。
・一所持格(いっしょもちかく)・・・島津の分家や重臣で所領を持つ家。伊集院(いじゅういん)家や伊地知(いじち)家、山田(やまだ)家、川上(かわかみ)家、新納(にいろ)家などおよそ20家。
・寄合(よりあい)・・・重臣でおよそ50家。
・寄合並(よりあいなみ)・・・重臣でおよそ10家。
・無格(むかく)・・・中級藩士で幕末時には2家。
・小番(こばん)・・・中級藩士でおよそ700家。徳川幕府の旗本に相当。
・新番(しんばん)・・・下級藩士でおよそ24家
・小姓与(こしょうぐみ)・・・下級藩士で西郷家や大久保家などおよそ3千家。その多くが50石以下の禄高で、西郷家は47石、大久保家(45石)だったとされています。
・与力(よりき)・・・武士もしくは武士に準ずる待遇を受けた家
それぞれの身分に属する家の数は時代や史料によって異なるのであくまで参考です。
寄合並以上が家老になれる家柄で、小番までが馬に乗ることが許される身分です。小姓与(史料によっては与力)までが武士(士分)です。
一所持や一所持格は数千石から1万石以上の所領を持ち家臣を有していました。所領からの年貢が収入源であり、四公六民なら収穫された玄米の四割が年貢収入となります。
一所持や一所持格に仕える家臣は、島津宗家からみれば家臣の家臣(陪臣)にあたるため、例え禄高が多くても身分的には低い扱いになります。
小姓与までが鶴丸城下に居住することを許され城下士(じょうかし)と呼ばれました。鶴丸城以外の地域に居住する者は外城士(とじょうし)もしくは郷士(ごうし)と呼ばれ、城下士からは蔑視されることもあったようです。
郷士という身分は各藩によって解釈がまちまちなのですが、一般的には土着している在郷の武士のことで、普段は農業に従事していて半農半士の生活を送っている人たちです。その他にも苗字帯刀(みょうじたいとう)を許された有力な農民や、献金や功績により武士の身分を与えられた人たちも郷士に含まれます。