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西郷隆盛と重野安繹(しげのやすつぐ)

西郷どんがもっと楽しくなる!小ネタ・豆知識


奄美大島 西郷と重野安繹(しげのやすつぐ)の交流 龍郷と阿木名*奄美大島 龍郷と阿木名

奄美大島送りとなった西郷吉之助(隆盛)ですが、当初は島民との交流もなく孤独な日々を送っていました。

そんな西郷の元をひとりの人物が訪ねてきます。重野安繹(しげのやすつぐ)です。

薩摩藩士 重野安繹は、江戸の昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)で学ぶほどの秀才でしたが、流罪判決を受け奄美大島で暮らしていました。

重野が流罪になった理由ですが、人を助けるため藩の公金を引き出したとも、同僚に妬まれ讒訴されたともいわれています。

西郷が斉彬のお庭方として江戸で活動しているときに重野と交流があったようで、二人は顔見知りでした。

島の南 阿木名(あぎな)に居住していた重野は島妻をめとり子供たちに学問を教えていたそうで、西郷が流されたことを知ると西郷宅を訪問したのです。

重野は三日間滞在して西郷を励ましたとされています。

絶望感と孤独感に苛まれていた西郷ですが、話し相手が見つかったことで落ち着きを取り戻します。

重野安繹(しげのやすつぐ)*重野安繹

仲間へ出した手紙には、重野が訪ねてきたことや島の子3人に読み書きを教えていることが記されています。

二人はその後も交流を続けますが、1862年に西郷に帰藩命令が下ると、その翌年に重野も赦免されます。

薩摩に戻った重野は学問の道に進み藩校 造士館で教鞭をとると、維新後は東京大学教授になりました。