東征大総督府(とうせいだいそうとくふ)と江戸城総攻撃
鳥羽・伏見の戦いに勝利した薩長を中心とする新政府軍は、徳川家(徳川慶喜)を討伐するため北陸道、東山道(中山道)、東海道の3つのルートから江戸に攻め上ることを決定します。
北陸道鎮撫総督府、東山道鎮撫総督府、東海道鎮撫総督府を設置し軍団を編成して江戸へ向けて進軍を開始します。
さらに2月9日には、先行する3つの鎮撫総督府の上に東征大総督府を設置するとともに、会津、庄内藩討伐のための奥羽鎮撫総督府を設置し東北にも軍隊を派遣するのです。
それぞれの総督府のトップには公家が任命されています。朝敵となった幕府や会津藩、庄内藩を討伐するために朝廷から派遣された軍隊であるということをアピールするための戦略でした。
実権は薩摩や長州、土佐など西国雄藩の中から選ばれた参謀が握っていたのです。
◆東征大総督府
大総督 有栖川宮熾仁親王
参謀 正親町公董、西四辻公業
下参謀 西郷隆盛、林通顕
軍監 江藤新平
◆北陸道鎮撫総督府
総督 高倉永祐
副総督 四条隆平
参謀 黒田了介、山県狂介、時山直八、津田信弘、小林柔吉
◆東山道(中山道)鎮撫総督府
総督 岩倉具定
副総督 岩倉具経
参謀 板垣退助、伊地知正治、宇田栗園
◆東海道鎮撫総督府
総督 橋本実梁
副総督 柳原前光
参謀 木梨精一郎、海江田信義
◆奥羽鎮撫総督府
総督 九条道孝
副総督 沢為量
参謀 醍醐忠敬
下参謀 大山格之助、世良修蔵