黒田高政(くろだたかまさ)
黒田高政(くろだたかまさ)は、官兵衛の曾祖父にあたる人物です。「黒田家譜」によると佐々木源氏の流れをくむ黒田家は、近江国で一定の勢力を保持しており、1511年に起こった船岡山合戦(ふなおかやまがっせん)に参戦をします。
船岡山合戦は、管領細川家の家督争いに端を発した室町幕府内の権力闘争です。管領細川政元の三人の養子(細川澄之、細川澄元、細川高国)が後継者の地位を自らのものにしようと画策し、やがて将軍家内の対立(足利義稙と足利義澄)に諸国の大名が加わり大きな争乱へと発展しました。
高政は義植に従ったようですが、軍令違反を犯し近江から出奔します。備前国福岡にたどり着いた高政は1523年にこの地で没します。
後年、黒田家は関ヶ原の戦いの功績により家康から筑前国に所領を賜り大大名となります。官兵衛は、当時福崎と呼ばれていた地を福岡と改め城を築きますが、この福岡という名は曾祖父高政が没した備前国福岡からとったものであるとされています。
しかし、高政に関する記述があるのは「黒田家譜」だけで他の史料には見当たりません。そのため高政の存在自体が疑われており、「黒田家譜」を編纂した貝原益軒(かいばらえきけん)が創作した人物であるとする説もあります。