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戊辰戦争(ぼしんせんそう) 仙台藩

伊達政宗を藩祖とする仙台藩は東北随一の石高(62万石)を有する大藩で、幕末時には13代藩主伊達慶邦(だてよしくに)が藩政を取り仕切っていました。会津、庄内両藩討伐のため新政府から派遣された奥羽鎮撫総督府は会津攻撃を仙台藩に命じます。


仙台藩を代表して奥羽鎮撫総督府との交渉にあたった若年寄 三好監物(みよしけんもつ)は最新兵器を備えた新政府軍に比べ、仙台藩の軍備は旧式でありとても勝ち目はないと考え、奥羽鎮撫総督府の命令通り会津藩を攻めることを藩主に進言します。


仙台藩内部では、奥羽鎮撫総督府の高圧的な態度に多くの藩士が憤慨していたため、恭順を進言した三好監物を解任して切腹へと追い込みます。奥羽鎮撫総督府下参謀である世良修蔵を殺害して、国家老但木土佐(ただきとさ)、軍事総督 坂英力(さかえいりき)を中心に新政府軍と戦うことを決断するのです。


仙台藩の最大動員兵力は3万を超え、会津藩、米沢藩とともに各地に兵士を送り戦闘を行いますが、所持している銃器は旧式で新政府軍よりもはるかに劣っていました。


局所の戦闘では勝つ場面もあったのですが、新政府軍が兵力を増員するとしだいに劣勢にたたされ、要地である白河で敗北を喫すると仙台藩の戦意は急激に低下!


9月20日に新政府軍に降伏をします。戦後仙台藩は62万石から28万石に減封され、但木土佐と坂英力は戦争首謀者として新政府によって処刑されます。