山本八重と荒城の月
荒城の月は土井晩翠(どいばんすい)作詞、滝廉太郎(たきれんたろう)作曲による名歌ですが、この荒城の月の詩に影響を与えたものが山本八重の残した歌だという説があります。
山本八重は鶴ヶ城落城の前夜「明日の夜は何国の誰かながむらん なれし御城に残す月かげ」という歌を、お城の壁に残したそうです。
今宵限りでこのお城ともお別れです。馴れ親しんだお城に残していく月を明日の夜からは誰が眺めるのでしょうか。という意味ですが、荒城の月を作詞した土井晩翠が1946年に会津で講演した際に、荒城の月のモデルは若松城であることを話します。
「荒城」が若松城(鶴ヶ城)であるならば「月」は八重の詠んだ歌?
八重の詠んだ歌について土井晩翠は語っていませんが、戊辰戦争で興廃した若松城と八重の詠んだ歌の中にでてくる月が土井晩翠の頭の中に残り、それをイメージして荒城の月ができたと推測することもできます。果たして真相は・・・