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清和源氏の甲斐進出

甲斐源氏の祖は源頼義の子新羅三郎義光とされています。

義光は1045年に常陸の国司に任命されていますが、甲斐守任官については確かな証拠がないため確認することができません。

源氏がいつごろ甲斐に進出したのかは定かではありませんが、義光の祖父源頼信が1029年に甲斐守に任命されたことから、甲斐とのつながりができたものと思われます。

義光が甲斐に定住したとする説もありますが、逸話や伝承の域を出ないため不明です。源氏の甲斐移住が史料上確認できるのは義光の子義清からです。

常陸の国司であった義光は、嫡男の義業(よしなり)に常陸国佐竹郷を譲り、三男(もしくは二男)の義清には常陸国武田郷を与えています。

「尊卑分脈」には、義清は「49歳で出家して甲斐国市河荘へ配流された」と記されています。

他の史料にも「義清の子 清光が乱暴を働き訴えられた」という記述が見られることから、義清と清光が政争に敗れて武田郷を追われたと考えられています。

市河荘の荘官として、甲斐に移り住んだ義清と清光は、市河荘を拠点に北巨摩にも進出していったと推測されます。

市川三郷町には義清に関する伝説が残っており、昭和町には義清を祭神とする義清神社があります。

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