安城松平家の祖 親忠(ちかただ)
三河松平氏三代当主信光は長享2年(1488年)に亡くなったとされています。
家督は長男の親長(ちかなが)が継ぎ岩津の領地を治めます。三男の親忠(ちかただ)には安城の地が与えられました。
「徳川実記」によると、挙母城の中條氏、寺部城の鈴木氏ら複数の国衆が連携して松平領に攻め込んできます。
松平勢は井田野で敵を迎え撃ち撃退しました。このとき親忠は140の兵を率いて、敵兵300を打ち負かし首50をあげたとされています。
井田野の戦いに関しては信頼できる史料に記録が残っていないことから、どこまで真実かはわかりませんが、この戦いで戦死した者たちを弔うため大樹寺(だいじゅじ)が創建されたとされ、大樹寺は安城松平氏の菩提寺となりました。
青森県の大平山元遺跡に行ってきました!